Sep, 2001 Starter
9月にNY入り、語学学校開始。滞在先はその学校の寮を1セメスター(3ヶ月)日本を出る前に予約していた。
そのときははっきり言って先のことをあまり考えていなかった。ただ、その寮にいる間は勉強するのが楽しくってしょうがなかった。授業が終わったら図書館行って、閉館まで、週末も勉強。友達作るとお金もかかるし時間ももったいないから作らないように、、、。それでも、同じ寮にいる子の数人とは気が会い、私の状況を理解してくれ良い友達になった。
NYに留学してくる子って、結構親がお金持ちの子が多くてきらびやかな生活をしている子が多いので合わないことが多かったなあ、、。 私は働いてためた貯金で生活してたからできる限り節約して長く居れるようにと考えてた。
その頃の私の食費は週$10(約1200円)、寮の友達の捨てようとするブロッコリーの芯をもらって料理して食べたり、お金持ち韓国人クラスメイトのお昼の残りをもらって自分の夕食にしたり、、、。 それでも、コーヒーとタバコだけは絶対にやめないと意地(?)になっていた。
そして、その寮の契約が切れる一ヶ月前ごろからもっと安い学費の学校とアパートを探さねば、と次の生活の準備を開始。学校はNY市立大学の語学学校に転校、そして肝心のアパート探し。
なんてったってマンハッタンの家賃はべらぼうに高いため、私にはほとんどチョイスはなかった。安い部屋を探すには人があんまり住みたくない所、、、結局イーストハーレム、別名ヒスパニックハーレム。
バス停でルームメイト募集の張り紙を見つけ即電話。部屋を見に行って即決、40代のアフリカ人のでっかいおっちゃんのルームメイトになりました。場所はほんと安いだけあるなあ、という感じのところ。そのルームメイトはけっこうとっかえひっかえいろんな女の人を連れ込んでてかなりもてもての様子でした。
そのおっちゃんの子供。当時4歳。
半年たったごろから現金がただただ減っていくだけの生活が怖くなり、日系の居酒屋/バーでアルバイト開始。小銭が稼げるようになって気が楽になった。でも、学校が朝8時から3時、5時から深夜1時2時までバイトという生活。かなり体はしんどかった気がする。アフリカ人のルームメイトにも”奴隷のような生活だ!!”といわれたり、、。 あの人たちはちょーポジティブシンキング。お金はあればあるだけ遣っちゃう。貯めるという感覚はない様子。
その頃一回すっごい具合が悪くなった。今思えばストレス、睡眠不足、栄養不足などなど体に悪いことだけしてきたからあたりまえなんだろうけど、、。吐いて下痢して、水さえ飲めない。熱もある感じだけど、体温計ないからよく判らない。そんな状態が何日か続いて、そのおっちゃんが見かねたのか、なんだか得体の知れないアフリカのお茶を持ってきてくれた。私が何飲んでも吐いちゃうからだめだよ、、、、といっているのに、無理やり、、、。でも驚いたことにそれは私の胃袋にとどまりそれから体調も少しづつ回復。おそるべし、、アフリカンティー、一体なんだったんだろう?味は決しておいしくなかった気がするが、、、。